昨日、衆議院選挙に伴い行われた最高裁判所裁判官国民審査であったが、民法第750条を合憲とした裁判官に×をつけた人が比較的多かったとの報道。
×をつけるのは個人の自由ですが、前提を誤解している人が多い!多すぎる!これは良くないですね。
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
民法第750条
日本国憲法施行や現行の法制度が整ってからある程度機が熟した昭和50年に妻の氏を称する夫婦は1%、現代では4%程度とされています。
しかし、相手方の親と養子縁組して改姓したのちに自らを筆頭者として婚姻する、いわゆる「婿養子」は表面上は姓を変更していますがこの統計上は含まれません。かつては跡取りのない親戚などへの養子縁組も珍しくなかったため、そういう意味では氏を変更する男性の割合自体は減っている可能性がありますが、そこまで細かい統計はないので数字で比較することはできません。
むしろ実際には男性側に改姓するところ、相手方の親と養子縁組して改姓したのちに自らを筆頭者として婚姻する、「婿養子」ならぬ「嫁養子」をすれば統計上は妻の氏を選択する夫婦を増やせるかもしれませんが、相続などでもめるリスクを考えるとあまり進んでとられるやり方ではなさそうです。例えば相続税対策として推定相続人をむしろ増やす目的で嫁を養子にする場合、「婚姻後に」「筆頭者でない側である」者を養子にするケースがほとんどだと思います。
要するに夫婦同姓を合憲とするのは決して男性を有利に扱ったり女性を不利に扱ったりしたいのではなく、「法律上は平等なのに実際には9割以上が夫の氏を選択している日本国民の意識が不平等」というのを突きつけられている感じがします。選択的夫婦別姓と言ってもおそらく子の氏を夫又は妻の氏から選ぶ必要があるので、結局この意識を変えていかないと平等にはならない気がします。筆者は現状の夫婦同姓とこういった判例で想定される選択的夫婦別姓の両方に不満があるのですが、夫婦別姓で子の氏を夫又は妻の氏から選ぶ必要がなく、子に夫妻とも異なる氏をつけて家族全員の氏が異なってもいいのなら平等なのでなんとか賛成できます。子に名をつけてもいいのだから氏をつけていけない道理はないですよね。人の氏名と犬猫の名前を同列に扱うのは抵抗がある方もいるかもしれませんがわかりやすい例なので出させてもらうと、坂上忍さんの家族の名前(犬の「佐藤ツトム」くん、猫の「竹原がんも」ちゃん、その他多数)みたいな方式です。
しかし、これは単なる理想です。現状のシステムや社会通念上、家族間で姓が異なるのは不便を感じることも多い気がします。
同様の判例では「氏の変更を強制されない自由」が憲法上保障される権利とはいえないとしています。確かにそうだとしたら親の離再婚に振り回されて改姓させられる未成年が分籍して苗字を変えないことが…不可能とは言えませんでした。
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憲法上保障されないとしても、「氏の変更を強制されない自由」という権利が奪われているとともに、もう一方の「氏の変更をできる自由」という権利を奪っているともいえます。「氏の変更を強制されない自由」が憲法上保障されないなら「氏の変更をできる自由」も憲法上保障される権利にはおそらくならないとは思いますが、次のような提案があります。
婚姻に際して新しく戸籍を編成し本籍を自由に記述できるのと同じように、氏を夫又は妻の氏から選択するのではなく自由に記述できるようにすると、夫婦の両方に「互いの親から独立して新しい家庭を築く」という意識や、両方が改姓に伴う手続きをする、子が生まれたら夫婦で決めた姓を名乗るという、現状議論されているどのような制度よりも憲法第24条に定める「両性の本質的平等」が実現されるように思います。古くは大日本帝国憲法のもとで福澤諭吉先生もこのような内容のことを提唱していて、「夫婦創姓」と呼ばれることもあります。
現状この方法を実現しようとしたら、国際結婚で相手方の外国人が日本に帰化して新しい氏名を名乗り夫婦でその氏に変更する(石垣島で飲食店を経営する「辺銀(ぺんぎん)」夫妻という例があります)、両方とも日本人の場合は夫婦で決めた氏をそれなりの年数にわたり通称使用して家庭裁判所に申し立てをする、この提案からすると時代に逆行していて本末転倒かつ自由に氏をつけられるわけではないなのですが夫婦で戸籍の筆頭者になる側が氏の異なる人物と養子縁組をする、くらいしか思いつきません。
筆者は性別には関係なく自らの「氏の変更をできる自由」を最大限に行使したかったのでそうしたのですが、そういえば現状で本名としているものが旧姓か戸籍上の本名であるかに触れたことはないと思います。…いや自覚として触れていないだけでどこかでうっかり言及してしまったことはあるかもしれない、自信はないですが、むしろ自分の本名と言えるものが2つあるのを好ましく思っています。
とはいえ実のところ制度がどうだろうとあまり気にしていません。
今の時代、芸能人が芸名を名乗ったり小説家などが筆名を名乗ったり特定の企業でビジネスネームを名乗ったりするように、一般の人々がインターネット上での活動などのために本名とは異なる名を名乗ることが珍しくないと思います。筆者はインターネットに触れる時期が早かったので、「そうこう言ってるうちに人々が本名を用いる機会が減って、自分の本名が生涯の途中で変わるとか変わらないとかなんて誰も気にしなくなる時代が来るのではないか」と思っていましたが、今のところ先を行き過ぎた考えだったようです。