昨日の記事でもかなりすっきりしたのですが、今日になって気がつくとさらなる問題が発生してしまっていました。
昨日のタイトルは野田クリスタルさんの発言の引用ですが、本日はカズレーザーさんの発言です。次のような一連のインタビュー記事があります。直接関連するのは1つ目だけですが、筆者用のリンク集です。
関連リンク:
カズレーザー「世界のすべては他人事」と思う訳
カズレーザー「人生すべて成り行き」の深い真意
カズレーザーが「男4人共同生活」を始めたワケ
コメンテーターとしても活動するカズレーザーさんにしてはずいぶんな表現かもしれませんが、次のように発言しておられます。(カギカッコ外は記事のライターさんによる文です)
ネガティブなニュースを追い続けると、メンタルがいつの間にか引きずられたりすることもある。膨大な情報を浴びながら、なぜこんなにも飄々としたままいられるのだろうか。
「この世で起きたこと全部、どこか遠い世界の話だと思ってるんですよね。身近だって思ったことないんですよ。政治とかも、もちろん勉強はするけど、どっちに転がろうが、たぶん僕は生きていける。1つひとつのニュースに、真正面からぶち当たってないのかもしれないです」だからこそ、ちょっと引いたコメントができる、ということだろうか。
「もちろん、『このニュースひとつで人生が変わる人がいるんだな』って想像はします。けど、すべてを自分ごととしてしゃべるのはよくないと思うんですよ。感情的な意見が先にいっちゃいますから。コメントするときは、個人としての感情をなるべく挟まないようにしてますね。他人事として見てるくらいが、ちょうどいいんじゃないですかね」
これを踏まえた上で現代のインターネットを見るとどうでしょう。確かに法改正とか給付金とか緊急事態宣言とか、そういったものは生活に直接の影響を与えるので無関心ではいられないし、多くの人の人生に直接影響するかもしれないことなので、それについて自由に考えを述べるのは当然のことだと思います。その他、自分が利害関係者になりうるようなこと(筆者にとっては、どちらかといえば良いニュースですが教員免許更新制が廃止に向かっていることなど)に対しても、全くの無関心ではいられないでしょう。
しかし、昨日も書きましたが、どのような結果になろうと自分の人生に何一つ影響を及ぼさないことに対して自分ごとのように感情を揺さぶられて苛立ったり憤ったりするのは、何か大切なエネルギーを無駄遣いしているような気がします。ろくに真偽も確かめないままならなおさらです。
なぜか他人事扱いするのは良くないことのような風潮がありますが、なんでも自分に関係あることのように喜怒哀楽を振り回されると疲弊します。適度な他人事扱いも、情報過多な世の中では必要なことだとおもいます。